米原の歴史と七夕伝説発祥の地コース【米原市観光コース】
米原の歴史と七夕伝説発祥の地コース【長浜市観光コース】
米原の歴史と七夕伝説発祥の地コース【長浜市観光コース】
バサラ大名で名を馳せた佐々木道誉創建の西岸寺や戦国武将・山内一豊ゆかりの名所が残る米原。町を流れる天野川の両側には、それぞれ蛭子神社「皇女の墓」朝妻神社に「皇子の墓」が伝わります。
ここはまさしく「彦星」と「織姫」が出逢う七夕の世界・・のどかな田園風景を眺めながら歴史ロマンに浸ってみませんか。
青岸寺→大谷吉継の首塚→朝妻神社→→蛭子神社→道の駅 近江母の郷→山内一豊公母の墓→若宮氏館跡
青岸寺
琵琶湖の東部に点在する「近江七福神」の一寺院。太尾山西麓にある禅刹は、バサラ大名で有名な京極道誉が自ら書き写した経典を納めて御堂を作ったことが始まりと言われています。
大谷吉継の首塚
関ヶ原の合戦(1600)で、西軍・石田方の参謀として奮迅の働きをした大谷吉継(1559~1600)の首塚と伝えられる石塔です。
朝妻神社
天野川を隔てて恋に落ちた男女の伝説があり、対岸の蛭子神社とともに縁結び・子宝の神として信仰されている。
蛭子神社
祭神は、事代主命(ことしろぬしのみこと)・須佐之男命(すさのおのみこと)で延暦年間に奈良興福寺の仁秀僧正によって建てられました。
道の駅 近江母の郷
市内で採れた野菜、花などの農産物や湖北地域の特産品などを提供する物産コーナーをはじめ、観光案内と休憩のできる交流室、近江特産のフルフル麺やおからドーナツなどが楽しめる軽食コーナーなどがあります。
山内一豊公母の墓
山内一豊の母は、夫盛豊が亡くなった後、法秀院として出家し、次男・一豊らを連れて居を転々としたのち、永禄末年(1569)頃、4人の子どもを連れて宇賀野の長野家に身を寄せたと考えられています。法秀院はつつましく穏やかな性格で、村の子ども達から慕われていたと伝えられています。
若宮氏館跡
山内一豊の妻の千代は、若宮喜助友興(わかみやきすけともおき)の子として、弘治三年(1557年)にここで生まれと言われています。