長浜曳山まつり(山車)月宮殿(げっきゅうでん)【長浜市観光】
写真提供:公益社団法人長浜観光協会
【長浜曳山祭の歴史】
長浜八幡宮は延久元年(1069)に後三条天皇(1034-73)が平安時代の武将・源義家(1039-1106)の強い願いを聞きいれ、石清水八幡宮(八幡市八幡高坊)を勧請したのが始まりといわれます。そして長浜曳山祭の歴史は、のちに戦国の乱世を統一する羽柴(豊臣)秀吉(1537-98)によって始まります。
秀吉は、天正2年(1574)頃、長浜城築城とともに長浜の城下町を建設しました。この時に、秀吉は、現在も曳山祭で執り行われる源義家の武者行列を模した「太刀渡り」という行事を行い、のちに男子出生を祝って町民に砂金を振る舞いました。それをもとに各町が曳山をつくり八幡宮の祭で曳きまわしたのが曳山祭の始まりと伝わっています。
また秀吉は、長浜の町を年貢300石の朱印地(免税地)に定めました。江戸時代、町が、彦根藩下に置かれた際も朱印地は認められ、湖上交通や18世紀半ばから盛んになる織物業で長浜は栄えました。こうした背景をもとに、長浜の町衆たちは曳山を飾り立て、曳山祭はさらに発展していきます。
長浜では、寛保3年(1742)の猩々丸の本教(台本)と明和6年(1769)以降の外題記録から、江戸時代中期には狂言(歌舞伎)が演じられていたと考えられています。江戸時代から脈々と長浜の人びとに受け継がれてきた長浜曳山祭は、昭和54年に重要無形民俗文化財の指定を受けました。その後、昭和60年には、長浜に伝わる13基の曳山と曳山を収蔵する山蔵が滋賀県の有形民俗文化財に指定され、平成28年に日本各地の33の「山・鉾・屋台行事」とともにユネスコ無形文化遺産に登録されました。
【長浜曳山まつり(山車)月宮殿】
田町組
亭 重層、上層は六角円堂、下層は方形となっている
舞台前柱 「鯉の滝登り」の飾金具の下絵は、狩野孝信の筆
胴幕 ペルシャ毯
舞台正面の面幕 中国明時代の刺繍ですぐれた作品
見送り幕 刻糸織で房金具は国友(長浜)の永川堂完雄の作
曳山本体は天明5年(1785)岡田惣左衛門重貞の作
亭は嘉永3年(1850)藤岡重兵衛光隆の作
長浜曳山まつり(山車)月宮殿【長浜市観光】
名称 | 長浜曳山まつり(山車)月宮殿(げっきゅうでん)【長浜市観光】 |
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長浜曳山まつり アクセス |
【鉄道】 JR東海道線(琵琶湖線)「JR長浜駅」 下車 徒歩15分 【車】 北陸自動車道長浜ICより15分 |
問い合わせ先 |
公益社団法人 長浜観光協会 0749-53-2650 |
【鉄道】
JR東海道線(琵琶湖線)「JR長浜駅」 下車 徒歩15分
【車】
北陸自動車道長浜ICより15分